選者 Y
赤塚不二夫さいごの弟子
オレも描いて欲しかった!!マンガで読む「ダメおやじ」の古谷三敏!!
Y フジオプロの初期の黄金期を支えたスタッフ・古谷さんのことを描いた「古谷三敏伝」。
S おおお、古谷先生!!
G 当時は、伝記マンガブームだったのかな?
M いつの時代も伝記マンガは人気のジャンルですね。マンガ家だけじゃなくて、世界の偉人とか政治家とかスポーツ選手なんかも含めてホントにたくさんあります。「古谷三敏伝」は、1975年4月の「少年サンデー」増刊号に発表された作品です。
W 古谷さんは、フジオプロのアシスタントだったんですよね。
Y 1965年のフジオプロ創設メンバーでした。そこから1974年ごろまでいたのかな?フジオプロ在籍中に「ダメおやじ」が大ヒットした。
W 「ダメおやじ」知ってます!けっこうハードな作品ですよね。
Y 家族全員から暴力的ないじめを受けるおやじの話。今だと誤解されそうだけど、ウケたんだよね。当初のネームをセンセイが書いていたというのは有名な話。センセイは古谷さんを頼りにしてたから、同時進行で連載してた(天才)バカボンのアイデア会議に出て欲しかったんだよね。それで「ダメおやじ」のネームはオレが書く、と。その後、古谷さんがひとりで描くようになって人気に火がついたとセンセイは言ってたけど。「古谷三敏伝」で描かれた逸話もセンセイから直接聞いたことがあるような……。
S わたしは、高校の存在自体を知らなかった、というエピソードをセンセイから聞いたことがあります。古谷先生の鉄板ネタじゃない?
Y うん、ネタとして秀逸だもんね。
Z 絵がまたいいですね。
Y ねー。古谷さんののんびりした感じと狂気(笑)とが一体化しているキャラクターがいい!センセイが古谷さんのことをリスペクトしてるのも、良くわかる。
K なんせ、フジオプロにくる前は、手塚先生のアシスタントだったんですから。
S それは大きい!センセイと古谷先生は、年齢がひとつしか違わない、同じ満州生まれで。赤塚不二夫のアシスタントといっているけど、古谷先生はフジオプロの所属マンガ家でもあったのね。センセイは晩年になっても「古谷さん」と呼んでいて、その関係性もいいですよね。
Y 初期のフジオプロは、アイデアの古谷先生、キャラクターの高井(研一郎)先生、頭脳の長谷(邦夫)先生とすばらしいスタッフが揃っていたからこそ、ヒット作連発だったのかなーとつくづく思うね。
G それぞれが独り立ちできる実力者。
S ある意味、センセイはプロデューサー的存在だった、と自分で言っていたことがありました。Yさんの時代はどうでしたか。
Y ボクがいた80年代半ばから90年代にかけては、センセイが体調を崩して入退院を繰り返していた。いちばん勢いがなかった時代かもしれない。仕事もわりとヒマだったしね。
S でもだからこそまた違う角度のセンセイと触れ合えましたよね。
Y うん。でももう少し早く生まれていたら、センセイに「Yものがたり」なんて伝記を描いてもらえたのかなー、とか考えると、わくわくするし残念でもある。
K それは、読みたかった。
G いろいろ暴かれてやばかった(笑)。
S ね。