- 概要
- 昭和41年の終わり頃、赤塚センセイのもとを『週刊少年マガジン』の編集長が訪れた。ライバル誌『週刊少年サンデー』の「おそ松くん」で大人気の赤塚センセイにマガジンでの新連載を依頼にきたのだ。
サンデーに恩義を感じている先生は、きっぱり断るが敵もさるもの全く諦めずに何度でもやってくる。とうとう根負けした形で連載を約束したのが、この「天才バカボン」だった。
マガジンの編集長は、連載をスタートするに当たって20コ以上ものプロットを持ってきたが、それに対して赤塚センセイは「それを全部ひっくるめたものより面白くします!」と力強く宣言した。
バカを主人公にしたマンガは「メチャクチャNO.1」で実践済みだったが、さらに進化させた“ハチャメチャ”を目指してスタート。
バカな親子はスタートダッシュに成功し、少年誌でありながらおやじを主人公にした新しい試みは、連載当初から爆発的な人気を得た。
パパのいう「これでいいのだ!」は、赤塚センセイを象徴する言葉としても広く知られている。
- ★1972年 第18回文藝春秋漫画賞を受賞。
「受賞出来て、こんなに嬉しいことはありません。というのも、自己の仕事の再出発というのも含めて、こんど漫画家が編集する漫画雑誌「まんがNo.1」という本の出版を夏に実現させ、ナンセンスに拍車をかけようとしていたところだったのです。児童漫画家から初の受賞ということも聞き、ますますこれからの仕事に磨きをかけて、読者の皆様に楽しい作品をお見せするつもりでおります。」(「オール読物」昭和47年8月号より)
※この写真は、文春漫画賞受賞とは直接関係ありません。昭和47年、文春文士劇のときのものです。
- 連載
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「週刊少年マガジン」 (講談社)1967年4月9日15号 ~ 1969年9号
「別冊少年マガジン」 (講談社)1967年8月号 ~ 1969年1月号
「週刊少年サンデー」 (小学館)1969年8月24日35号 ~ 1970年4月5日15号
「デラックス少年サンデー」 (小学館)1969年9月9号 ~ 1970年6月号
「週刊ぼくらマガジン」 (講談社)1971年5月10日20号 ~
「週刊少年マガジン」 (講談社)1971年6月27日27号 ~ 1975年2号
「月刊テレビマガジン」 (講談社)1971年12月号 ~ 1975年10月号
「別冊少年マガジン」 (講談社)1974年8月号 ~ 1975年5月号
「月刊少年マガジン」 (講談社)1975年6月号 ~ 1978年12月号
「週刊少年マガジン」 (講談社)1975年10月26日43号 ~ 1976年49号
「テレビマガジン」 (講談社)1975年11月号 ~ 1977年8月号
←タイトルは『元祖天才バカボン』。「コミックボンボン」 (講談社)1987年10月号 ~ 1989年12月号
「ヒーローマガジン」 (講談社)1989年10月号 ~ 1991年1月号
「コミックボンボン」 (講談社)1990年1月号 ~ 1991年10月号
←タイトルは『平成天才バカボン』。「デラックスボンボン」 (講談社)1991年11月号 ~ 1992年12月号
←タイトルは『平成天才バカボン』。