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 東京地方は桜が満開。ボクもこのところ「ド満開」(ボクのまわりではボクが飲み過ぎてハイテンションで酔っぱらっている状態をこういいます。みなさんもこの言葉を使いましょう!)だったんだけれど、ふと目がさめるととっても気持ちのイイ朝で、珍しく散歩にでもいこうかって気になったんだな。
 スタッフと一緒に家のスグそばの妙正寺川までをゆるゆる歩く。春の日ざしが気持ちイイなー・・・というより万年運動不足で足元がおぼつかず、ほとんどフラフラで歩く。おっと、危ないここいらへんは犬のフンなんかもよく落ちているから気をつけないとな。
 おお懐かしい、ココは神田精養軒。ン十年前に、この前で酔っぱらって寝込んじゃったことがあるんだ。そう、路上で。飲んだ後、朝方歩いて帰ってきた時に、この看板を見たら「ああ、もうウチの近くだなー」っと思って安心して寝ちゃったんだな。偶然、通りかかったおまわりさんに起こされて「あっ赤塚さんだ!こんなトコで寝てたら死んじゃいますよ。」っとウチまで連れて帰ってもらった。オレは全然大丈夫だったんだけどな。古い話です。

日記 2001年 4月 3日(火)を開く

 明日から入院。・・・っと言っても来週からの超ハードスケジュールに備えて体調を整えるための「調整入院」だから心配は御無用だ。
 ところが、どこから聞き付けたか「明日から入院ならその前に会っとかなくちゃ」なんてなんだか良く分からない理由でアビちゃん(安孫子先生)がやってきた。「あんまり飲みすぎるなよ」なんて言いながら、自分はしっかり飲む、イイ友だちだ。「安孫子先生ひとりでいらっしゃるワケないよ」・・・という真知子のカンがみごと適中。アビちゃんの後から、リイド社の長田さん、高井ちゃん、北見ちゃん、ちば(てつや)ちゃんとぞくぞく嬉しいメンバーが集まった。ねー、みんな、オレまだ死んでないからそんなに集まんなくたってイイよー。と思ったケド、宴会はそんなことは関係なく始まった。
 旧知の仲って、ホントにイイモンだね。なんか理由がなくったってこうして集まれば、遠慮もナイし、勝手に喋って、勝手に飲んで、勝手に食べて・・・そうオレは昨日までのムチャ飲みがたたって、こうしてひとり勝手にバタンキュー。
 でも、こうして寝ながらも、あっ今、北見ちゃんが笑ったなとか、真知子が何か言ったな。とかうっすらと聞いているんだよ。オレの悪口は特に良く聞こえるから、オボエテロよー。寝ていると思ってうっかり口を滑らせて、後でヒドイ目に合ったヤツは数知れない。
 ・・・と主人のオレを尻目に、赤塚家の夜は今日も盛り上がっていったのでした。チャンチャン。

バタンキュー。

日記 2001年 4月 4日(水)を開く

 みなさんはご存知ないかもしれないが、 わたしはマンガを描いて生活をしていて、 ひとりの美しい妻と、 ひとりのこれまた美しく才能溢れる娘と、一台の高性能な車を持っている。
 ボクの美しい妻と才能溢れる娘は、ママハハの関係なんだけれど友情にも似たとっても良い関係を結んでいる。
 そしてこのたび愛娘りえ子が、大阪でちいさな展覧会を開くために帰国することになった。あっ言い忘れていたけれど、りえ子は現在ロンドン留学中のアーティストの卵で、今回の展覧会が日本デビューなんだ。
 きょうは、このふたりの愛のメールを紹介しよう。

3/1 真知子→りえ子
件名 : お忙しいお嬢様
オメーはいつ大阪へ入って、いつどうするんだよ。
そのころドサマワリが重なってるので、連絡乞う。

3/2 りえ子→真知子
件名 : かーさん、すてき。
かーさん、その言い方すてき。でも、かーさんからのe-mailにあった「連絡」という漢字のあとに書いてあった漢字が難しすぎて読めませんでした。たぶん、「連絡よこせバカ」という読み方なのだと思い、そう訳しました。難しい漢字は使わないで下さい。ところで、大阪のオープニングは4月19日で、私がアーティスト・トークをやるのは、その週末の20日(金)か、21日(土)か、22日(日)のどれかで、詳しくは、決まり次第すぐに連絡するでがし。
オメーのむすめより

3/2 真知子→りえ子
件名 : がきーさん、すてき。
がきーさん、そのいいかたすてき。
あのむずかしいじはへんかんしたら、でてきただけです。わたしがかいたんじゃありません。
おめーのおやじのすけじゅーるからいいます。20にちはゆうがたまで、やまがたけんの≪さかたしびじゅつかん≫に、はいらなければなりません。21にちはおひるから“てーぷかっと”“さいんかい”があり、おわってから、‘よこはま’にいき、22にちはあさから“にほんろーびじょんがっかい”で‘こうえん’をいっちょまえにするんですの。のでおめーの‘あーてぃすととーく’が20にちのおひるごろだと、やじをとばしながらきけるんですけど。
それによって18ぉぁ19にち、どちらかに‘おおさか’にはいるつもりなんですよ。でづっぱりになると、おめーのおやじもとしだから、いろいろかんがえてます。ばかあいてに、めーるうつのすごーくつかれたから、おしまい。

3/30りえ子→真知子
件名 : ありがとうございます。
御父様、御母様へ
メール読みまくりンコフビッチ。サンキュウ。ヤマグチさんにお礼するーノ。すごく嬉しいハムニダ。15日でも、だいじょぶンコフ。ただ、おめーのガキが日本に御来日されるのが15日の午後1時半イッヒ、よって、東京に御到着になられるのが、4時頃ダッチ。赤いジュウタン、敷いて待ってろッチ。謝謝。
教養があふれすぎて、つい、6カ国語で書いてしまいましたわ。
リエザベス

 上品なボクには、このふたりのやりとりは全く理解できません。ついでに最近のボクの多忙なスケジュールも、わかっていただけたでしょうか・・・?

日記 2001年 4月 10日(火)を開く

 きょうのオレは、新入学生に講議をするセンセイなのだ。もーれつア太郎やひみつのアッコちゃんのアニメーションを製作してくれた東映アニメーションの専門学校、東映アニメーション学院の特別講師として、今年入学したばかりの若者たちに一時間ばかり、若い頃の苦労話(!)や作家としてやっていくための心構えなどをミッシリとお話したのだ。
 学生たちにはすでにバレているので、ここでも告白してしまおう。実はオレ、真面目な講議にもかかわらず、すこーしだけ酔っぱらってました。
 というのも、学院に行く前に東映アニメの担当と昼ご飯を食べていたんだけれど、それが辛~いカレーライスだったもんで、つい出来心で「ビール!」と言ってしまったんだ。そして気がつけば、2本のビール瓶がテーブルの上に・・・。
 朝からなんにも食べていないすきっ腹だったことも手伝って、このオレとしたことが、フラフラになってしまった。
 それでもようやく、タクシーで学院に駆けつけて、スタッフの人が用意してくれたお茶をガブ飲みしてなんとか話しができるまでに回復した。  そうして、話も乗ってくればこっちのもの。生徒からの質問もバンバンこなして、終わってみればオレも、いい講師ぶりを発揮したんじゃないかな?
 でも、学生から「頑張って下さい」っていわれちゃうのはどうしてかな~。「おまえたちが頑張れよ!!」

日記 2001年 4月 11日(水)を開く

 実は、ここ2週間ばかり「オレの行くところにはTVカメラあり」っていう状況が続いている。NHK教育TVの「美と出会う」っていう真面目なドキュメンタリー番組の取材を受けているんだ。
 この写真も美人のガールフレンドとのんびりブランコを楽しんでいる・・・ように見えるかもしれないけれど、実はNHKの山根アナウンサーにインタビューをされている真っ最中。
 オレの次の作品の構想や、去年出版した「さわる絵本」の話、娘の話やオレの日常など盛り沢山の番組になると思うぞ。詳しくは言えないが・・・。
 それはそうと、この山根アナ。美人で気さく、頭の回転も早くて、サスガNHK!テレビで見ている時から好きだったけれど、今度の仕事でさらに大ファンになってしまった。そしてなにより気に入ったのは、仕事が終わった後に、一緒にワインを付き合ってくれたこと。美人と飲むとお酒もさらに美味しいのだ!

日記 2001年 4月 12日(木)を開く

 マサルの店が明日オープンするという。
 マサルっていうのはオレの30年来の友だちで元バーテン。オレが新宿で毎晩飲みに飲んでいた時代、ある店で知り合った。この頃は、酔っぱらってふたりで良くいたずらもしたなー・・・。そこからマサルは店をいろいろ変わり、今ではすっかりオジサンになってしまったけれど、オレたちの関係は相変わらずの「悪友」だ。
 そのマサルが、初めて自分の店を持つという。そして生意気にもオレに看板を描けという。仕方がないから似顔絵を描いてやったけれど、その顔がまた貧相なんだなー。あんなんで人が入るかどうか心配になっちゃうよー。それからまたさらに甘えて、店の名前を考えろという。めんどくさいから「スナックまさるにしろよー。」と言ったらホントにそうなった。
 きょうは、オープン前日なんだけれど、こころ優しいオレは例のNHKの取材場所にスナックまさるを指定して、NHKのスタッフと娘のりえ子と一緒にやってきた。
 東中野のみなさん、オレの描いた貧相な顔の看板を目印に、どうか行ってやってください。(マサル、宣伝してやったから飲ませろよ!)

日記 2001年 4月 15日(日)を開く

 酒田のみなさんコニャニャチハ。やってきましたサイン会です。またまたおおぜいの老若男女に集まっていただきました。どうもありがとう!
 会場となった酒田美術館は、4年前に建てられたという自然に囲まれたデッカクてリッパな美術館。自然光がタップリ入る広々とした展示室にオレのマンガが映えるコト。気に入りました!なんでもこの美術館は、イタリア製の大理石を使っていたり、中国の石を床に敷いていたり、壁もコンクリートを杉の模様に加工したりという、いまどきでは考えられない場所なんだ。それから、ボクの直筆原稿が入っている展示ケースは、さる偉~いお方の巻き物や古文書を展示するために作ったものらしい。その展示を終わって以来ず~っと倉庫に寝かされたいたのが、このオレの原稿を入れるためにお呼びがかかったってワケだ。どうだオレも捨てたモンじゃないだろ。
 え?どうして車イスかって?足を怪我したわけでも、具合が悪いわけでもなく、ただ会場が広すぎてつかれちゃうから。えへへ、押してくれたのはこの展覧会のプロデューサーのアラキッチ。
 そして、サイン会だ。何故かサイン会をやったところは、ちょっと狭くなっていた場所だったから人が殺到して大変な騒ぎになっちまった!握手を求める人、一緒に写真を撮ってほしいとポーズをとる人、「頑張ってください」なんて言う人、おみやげのお酒をくれる人・・・。
 ここの日記でも、オレは酒ばかり飲んでいるって言っているからかな?お酒をプレゼントしてくれた人がたくさんいたんだ。真知子は笑顔で困った顔をしていたけれど、コレはオレの永年の作戦が成功したってことだ。赤塚不二夫イコール酒ってイメージが、まんまと定着ってわけ。
 ・・・最後にひとつイイことを教えておこう。ホントウは、オレはお酒と言っても洋もののウイスキーが大スキーなんだ。覚えておいてくれ。これからもヨロシクな!

日記 2001年 4月 21日(土)を開く