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 どうだ、かーわいいだろう?これは「愛のテディベア展」という展覧会に出品するために描いたんだけれど、ボクは、この熊が一目で気にいっちゃったよ。
 このテディベアっていうのは、アメリカのルーズベルト大統領(愛称テデイ)が小熊を助けたっていうエピソードから生まれたアメリカでは国民的マスコットなんだゾ。知ってたか?ボクのニャロメも負けそうってトコかなー。日本でも、特に最近このテディベアっていうのはかなり人気があるらしいし・・・。
 そして、この「愛のテディベア」展っていうのは、世界の地雷撤去のためのチャリティー展で、世界各地で巡回展をやっているんだ。今回、その展覧会に出展を依頼されて描いたってわけだ。
 なんていう注釈はこれくらいにして、ボクのテディベアの出来はどうでしょう。各界からたくさんのアーティストや政治家、財界人なんて人までが出展するらしいんだけれど、ボクにはこのスター、ニャロメがいるからね、クマのお腹にネコ。これでキマリでしょ。それにポーズは、もちろんコレでキマリ。

コレでキマリ。

日記 2001年 2月 5日(月)を開く

 突然ではありますが「赤塚大センセイを囲む会」なんていうのをフジオプロで企画いたしまして、遅まきながらの新年会を開くことになりました。
 ふだん、とってもお世話になっていながら、なかなかお礼ってできないもんだから、思い立ったら吉日とばかりに、ほんとに内輪の人間だけを集めて、きょうは小さなパーティを開きました。
 いらしていただくお客様を、絞りに絞っても104人になっちゃうところが、大センセイの辛いところなんだなー。でも賑やかなことが大好きなボクは、いろいろな人にイッペンに会うことができてご機嫌だったんだ。
 ボクのデビュー当時からの編集者たちを始め、アニメ会社、広告関係、単行本編集者、おっととと、この天才webバカボンのスタッフも来てくれたぞ。それから展覧会関係者、もちろんマンガ仲間(この写真は、北見けんちゃん、古谷さんとトキワ荘からの仲間でアニメーション界の大御所の鈴木伸一さん)とごく親しい友人達・・・。でも何と言ってもボクが嬉しいのは、ボクの若いガールフレンドちゃんたちがたっくさん駆けつけてくれたコト。むさくるしいおじさんばっかりの中に、華があるでしょ。ねっ!と、満足、満足。
 そして、ボクはあんまりハシャギ過ぎて、後半の記憶は消滅しているのだ。だから、フジオ・プロのスタッフによる最後の挨拶、真知子が頑張って挨拶していたんだけれども、この時すでにボクは・・・。ご想像におまかせします!

マンガ仲間(この写真は、北見けんちゃん、古谷さんとトキワ荘からの仲間でアニメーション界の大御所の鈴木伸一さん)

日記 2001年 2月 8日(木)を開く

 ひさしぶりに、映画を見にいったぞ。話題の「バトルロワイアル」。ボクは深作監督のファンだから国会で話題になる前から絶対見ようって決めていたんだ。ちょっと遅くなっちゃったけれど、きょうやっと時間がとれて新宿コマ劇場近くの喫茶店で待ち合わせ。真知子とフジオプロのヨリコちゃんと、古くからの友人マサルと。映画って言うのは、やっぱり映画館で見なくちゃね。
 映画館前には、並んでる、並んでる。やっぱり話題の映画だけあって、人気があるのかな。圧倒的に若い人が多い、もしかするとこの中で、ボクがいちばん年上かもしらんなー。と、どうでもいいようなことを考えているうちに、始まった。
・・・・・・・
 この映画は、やっぱりR15指定なんてもので縛る必要なんてなかったんじゃないかな。どちらかといえば、割と子供向けなんじゃないかとすら感じたぞ。オレなんかむしろ拍子抜けしちゃったぐらい・・・。キミはどう思った?見た人は是非感想なんか聞かせて下さい。
 あーあ、映画ってのは見終わるとなんだかハラが減るようにできているらしい。なんか食べながら映画の話しでもしようじゃないか。ってことでやってきたここは、ボクが大好きなお店のひとつで、新宿のスペイン料理店。今は亡き啓介師匠といっしょに良く行っていたんだ。サングリアに赤ワイン、マッシュルーム、ムール貝、ブイヤベース、生ガキ、生ハム、イカスミ、イカリング、パエリア、サラダ・・・よーく食べたなー。
 ボクは、映画に美味しいモノ、それにおちゃけでパーフェクトにゴキゲンです。

新宿のスペイン料理店。

日記 2001年 2月 11日(日)を開く

 今回の熱海行きは収穫大きかったゾー。一緒に写っているこのヒトは、なにを隠そう熱海の生き字引「のり平」さんであらせられるぞー。のり平さんはご想像通り、熱海で40年間もやっているゲイバー「のり平」のママさん。真知子がある雑誌で、ここを見つけて「これゃ面白そうだゾ」っとスグに電話を入れてリサーチ。今回やっと行くことが出来たんだ。
 のり平ママは見ての通り、亡き三木のり平さんにそっくり。若い頃から似ていたそうで「のり平」っていう名前もホンモノののり平さんから付けてもらったんだって。
 さすがに、のり平ママの話はおもしろくって、上品で、ボクも久しぶりに楽しい夜を過ごすことができたな。聞けば、かの有名なゲイバー「青江」で修行を積んだ後、店持ったんだって。今度、東京に来たらウチにも寄って下さいって頼んだら「普段はカツラはしてないので、こんなカンジで行きます」と言って被っていたカツラをカポッと外して見せてくれたんだ。そうしたら笑うどころか、これがまたハンサムなんだよ。ホント、イイ男。・・・ほんとうに来てくれるといいなー。
 昼間はあいかわらず、恒例の初島に行ってきました。行きの船の中では、船底の部屋に降りて一同アポヅラで窓から外を覗いてみた。珍しいモンなんてなーんにも見えないんだけど・・・。
 ボクとボクのとなりにいる編集者のジュンコちゃんが、まるで子どもみたいだろ?あと、後ろに居るのが、ヤマグチくん。こっちは、お父さんみたい。もうひとりのお父さんは、個展の仕事をいっしょにやっているアラキさん。これじゃニセ家族写真だな。

船底の部屋に降りて一同アポヅラで窓から外を覗いてみた。

日記 2001年 2月 17日(土)を開く

 良い子のみなさん、バカボンのパチンコ出してますか~。ボクの家にもバカボンのパチンコ台が届きました。これが届くよりずいぶん先に街のパチンコ屋さんではバカボンの曲がチャンチャンチャ~ンと流れていたみたいだけれど、ボクは今日初めて打ってみたんだ。だいたいボクはパチンコに関しては全くのシロウトなんだから、出るわけないよ。っと思っていたけれど、なんのなんの、大当たりを出したゾー。・・・と自慢気に喜んでいたら、この台は、なんでもよく出るように特別に設定してあるんだって。なんだ、才能あるのかと思って喜んだのに・・・。
 それにしても、パチンコってのはウルサイなー。パチンコ屋でやっている時にはあんまり気にならないけれど、家でやるとものすごい音にビックリするぞ。
 そして、パチコン台が届いてからすぐに、家に出入りしている電器屋さんのツツイサウンドさんが、打ち合せ室の壁にこのパチンコ台を取り付けてくれたんだ。バカボングッズが沢山並んでいる部屋にホントウのパチンコ台。うーむ、なかなかいい眺めだ。これから、家に打ち合わせにくる編集者たちは、ここで試し打ちをしていくことになるのかな?
 このサイトにも、ボクあてにパチンコの件でたくさんメールをいただいているけれど、どんなに負けても当方は一切関知しないのでそのつもりで。ただし、大勝ちしたときには、喜びのメールをくれると嬉しいぞ。
 じゃ、今日も元気に打ってみよ~。

電器屋さんのツツイサウンドさんが、打ち合せ室の壁にこのパチンコ台を取り付けてくれたんだ。

日記 2001年 2月 21日(水)を開く

 新しい単行本の企画で、ウチになつかしいメンツが顔をそろえた。どの人ひとりが欠けてもいまの「赤塚不二夫」はいなかっただろうなっていう編集者たち。
 ボクが連載を持っていた昭和30年代後半から40年代に「週刊少年サンデー」の編集部にいたデカバナの武居記者。同じくクツシタ臭いで有名な「週刊少年マガジン」の五十嵐記者。それから「週刊少年チャンピオン」の小林記者。
 もうどの人とも30年以上の付き合いになるんだけれど、会うと30代に一緒に仕事をしていた感覚に戻っちゃうから不思議だな。
 あの頃は、連載を月に9本も抱えて、目が回るくらい忙しかったんだけれども、よく働いて、よくイタズラして、よく飲んだなー。当時のフジオプロは、各出版社の編集者やウチのスタッフ、アシスタントたちでほとんど合宿生活。そう「不夜城」化していたんだ。
 忙しい中での楽しみといったらイタズラ。ホワイト(白い絵具)を牛乳瓶にいれて牛乳だといって飲ましたり、トイレの個室入っている人のドア越しに水をぶっかけたり、突然おもちゃのピストルを打ち合ったり、編集者が仮眠中にすべての時計を一時間遅らせておいたり・・・と挙げたらキリがないほど目まぐるしい毎日。おーもしろかったなー。
 今日の鼎談も昔話に花が咲いて・・・延々と夜中まで続いたのだ。

日記 2001年 2月 23日(金)を開く

 きょうは、楽しい集まりがあった。
 前にも紹介したけれど、オレのモトニョー(別れた元・女房のことをこう呼んでいるんだ)と真知子(いうなればイマニョー)とはとっても仲良しで、今でもタモリの奥さんのハルコさんを交えた3人でよく食事なんかしているらしい。きっと、3人でオレの悪口なんか言っているんだろう。何故だかオレは誘われないもん・・・。
 そして、そのモトニョーと真知子が漫画サンデーに連載している新田たつお先生の「静かなるドン」の大大大ファンなんだ。そこで今日は、モトニョーが新田先生を始めみんなに声をかけて食事会を開くことになった。
 メンバーは、新田先生と漫画サンデーの編集長、モトニョー夫婦、それからハルコさんが「ウチの一義も行きたいっていっているんですけど・・・」っていうことでタモリとハルコさん、昔からの仕事仲間のアダチっちゃんと奥さんのサッちゃん、オレと真知子、それにフジオプロのスタッフたちだろ?
 面白いこと好きのモトニョーの発案で、出席者全員が一度フジオプロに集まって、そこから貸しきりのサロンバスで飲みながら、五日市にある料理屋まで行くことになったんだ。
 なんだか遠足かTVのロケみたいで楽しかったなー。モトニョーと真知子は新田先生がいるのでニコニコだし。オレもなんだかフツーと違っているから、ウレシー。
 五日市ってのはかなり遠くて、家から一時間半もかかったんだけれど、その間も盛りあがって、着いた料理屋さんも美味だった。
 オレはこんなのが大好き!

サロンバス

ニコニコ

日記 2001年 2月 26日(月)を開く