昔の写真だい!

「漫画家になるぞっ」 BACK   NEXT
 そして、このころぼくには、人生を決める運命の出合いがあったのだ。そう、ぼくらの神様・手塚治虫先生の「ロストワールド」。これはねー、今考えてもスゴかったよ。本当に面白い、って思ったよ。興奮した。びっくりなんてもんじゃなかったな。ぼくらはみんな「娯楽」てものに飢えてたわけじやない?そこへ持ってきて、本格的なストーリー漫画だよ。これは、イッパツでまいっちゃったね。そう漫画家を目指しはじめたのは、この頃だったってわけ。でもね、ぼくは絵がヘタだったの。いまもあんまり上手じゃないけどね。それなのに「漫画家になる」ってもう決めちゃったんですから、これは大変なことですよ。
 今考えても、なぜそんなムチャクチャな決心をしたのか、分からないんだけれども、とにかくそう決めちゃったんだな。
 けれども、この頃の新潟っていったら、今からは考えられないような絵に描いたような「田舎」。漫画家になるための情報なんかなーんにも無くて、唯一、あるのは「漫画少年」っていう読者の投稿に力を入れている少年漫画誌だけ。それだけ。4コマ漫画や1コマなんかを全国の漫画家を目指す少年たちが、投稿してくるわけだけれど、その中で編集部のお眼鏡にかなった作品が掲載されるんだ。「なかなかおもしろい」なんて書かれたりして、名前もちゃんと載るんだぞ。発売日が毎月楽しみだったなー。もちろん、とうちゃんには内緒だったですよ。そして、この「漫画少年」の常連だったのが、石森(後の石ノ森章太郎)や藤子不二雄だったんだよ。おれは常連ってわけじゃなかったけれども、ちょこっちょこっとね。そう、ちょこっと面白いやつをね。
 それで、そんな人たちとお互いに文通なんかして、なんとか漫画家になろうって頑張っていたんですねー。
 ぼくは、中学を卒業してから絵が好きだって事で看板屋に就職したんだけれども、その看板屋がつぶれて、さあ、これはいい機会だから東京へ行こう、ってことになった。そして、ただやみくもに東京にいってもしょうがないので、とうちゃんが知り合いにたのんで小石川の化学工場に住み込みの仕事を見つけてきてくれた。
 ここ東京には、出版社もある、漫画家もいる、漫画家をめざす人もいるにちがいない。って興奮したぞー。
 藤雄17歳、キンチョーと夢を抱いて、いよいよ、花のトウキョウなのだ。

 しかし、まだまだ、連載漫画家の道は遠いのだ。
「はじまりは満州」
「三輪車に乗るぼく」
「大和郡山から新潟へ」
「漫画家になるぞっ」
「トキワ荘の青春」
「ぼくとかあちゃん」
「とうとう連載デビュー」