これも生家の近くで撮ったものだな。もちろんこの頃のことなんか覚えちゃいないけど
ぼくは長男だから、とっても大事にされて、可愛がられて育ったんだ。だからのびのび、すくすく大きくなったんだけれど、戦争が終わって日本に引き上げてくる時、そりゃあもう大変な思いをしたんだ。あのさ、中国残留孤児、あいつらさー、全部他人ごととは思えないんだよ。いつ同じような立場になってもおかしくなかったからね。
でもね、その時も、やっぱりかあちゃんがエラかったの。とうちゃんは、捕まっちゃってシベリアに送られちゃったから、女手ひとつに子ども4人だよ。そのかあちゃんの「絶対に一緒に日本に帰る」って意志がさ、ハンパじゃないんだよ。「手を放すんじゃないよっ」ってさ。
今考えても、よく帰ってこれたなー。って感心しちゃうよ。でもね、そんなに苦労してやっとの思いで日本に帰ってきたんだけど、たどりついた次の日に、一番下の妹が死んじゃったんだよ。すんごい苦労して帰ってきたのに。かあちゃんはキツかったと思うよ。
だから、ぼくはいまでも野坂(昭如)の「火垂るの墓」なんか、涙なくては見られないの。このころの体験はみーんな、キョーレツだったってことだな。
それでもね、昔の女はたくましいのだ。そんなことで、へこたれているヒマはないのだ と、かあちゃんの話はつきないけれども、これはまたの機会にゆっくりしよう。 |